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高畑城跡

印刷ページ表示 更新日:2026年2月26日更新

高畑城跡の画像

高畑城は、その形がつり鐘に似ていることから、鐘ヶ城ともいわれている。この城は、承安年間(1171〜1174年)に藤原秀衡のいとこ、樋爪五郎季衡が築城したと伝えられている。天授6年(1380年)、伊達宗遠が長井広房を攻め、以来150年間屋代城と称し、伊達氏の居城となった。以後、上杉時代には城代が置かれ屋代郷が幕府直轄となるに至って空塁となった。
明和4年(1767年)より織田信浮が居城、天保2年(1831年)まで64年間、織田氏が本拠とした。

現在の高畠小学校グラウンド内に本丸が、昭和保育園付近に大手門があったといわれている。
現在の堀は内堀跡で、町の指定文化財となっており、学校付近にはわずかではあるが、土塁跡、外堀跡などが散見される。古絵図によれば、古城をめぐる街道、寺院、小路、屋敷(跡)、弁財天(跡)などは殆ど動いていない。

高畑城堀跡